Web担当者が書く(あの日の話)

“あの日から8年”というフレーズを耳にするようになりました。
東日本大震災は、富山県では震度3を記録した程度です。その瞬間、私は立ち話をしていて揺れに気づくことすらありませんでした。

当時は放送局でWeb更新の仕事をしていました。放送局という場所柄、緊急地震速報や大きな災害が発生したときは誰も聞き逃すことのないよう、館内放送が流れる仕組みになっています。
14時46分。建物内に緊急地震速報が鳴り響き、続いて『地震が発生しました。震度3以上』という音声が流れました。これも、大きな地震の際に必ず流れる仕組みです。
編集や機材の整備などで席を離れていた各部署の責任者が、自席に向かって走り出す足音が聞こえました。全速力です。
立ち話をやめ、私も席に戻りました。席のある部屋にはTVが並んでいます。どの局も特別報道を放送していました。ある局ではスタジオの照明が激しく揺れるさまも生放送で映し出され、東京では頻繁に余震が起こっていることを知りました。
まもなく『大津波警報が出ました』と。
責任者のひとりが「これは…これは大きいぞ」とつぶやきます。

天カメ映像に代わって現地のヘリ中継がはじまり、全員が息をのみました。大津波のライブ映像です。
壮絶な光景を映し出す中継、震度3以上の地震や警報発令の度に流れる館内放送に騒然とする中、放送を見ていた人が次々と仕事に戻っていきます。
激甚災害が発生したら、情報がなくとも可能な限り現地に応援に向かう決まりになっているのだと、その日初めて知りました。
間もなく、いくつかのチームがインフラが途絶え何の情報も入らない東北へ向けて出発しました。出発したのは地震発生から2時間以内だったと記憶しています。
日が暮れ始めたころに中継は終わり、放送は東京都内の帰宅困難の模様を中継していました。
「情報が入らない」という声を、放送から、周囲の人からも、何度も聞きました。深刻な状況が起きているに違いないのに、何が起きているかわからないもどかしさがありました。

さて当時、私は携帯をスマホに変えたばかり、それがBlackberryというマイナーなメーカーの機種で、日本語で利用できそうなアプリはTwitterだけでした。
否応なくTwitterをはじめたもののいまひとつ活用できず、仕事で役に立つかなとニュースや広報のアカウントをフォローしていました。
放送では情報が少なく、何度も同じニュースを繰り返していた中で、

(Twitter社が公開している10周年記念動画より)

ニュースではなく広報のアカウントが間断なく情報発信を行っているのに気づきました。
そのアカウントに繋がって、現地、といっても11日当日は携帯が断絶していたのですが、関東周辺でも大きな被害があり、その生々しい被害状況や、東北を心配するつぶやきが次々とタイムラインに現れました。
膨大な生の声には知らなかった現地の状況を伝えるものも多く、「情報はここにある」と目を見張りました。
震災発生当時、放送局の人たちにこの話をすると『それは信頼できる情報とは言えない』と、意に介す様子はありませんでした。同じ組織で、Twitterを活用して情報を発信し、多くの情報を得ている(広報なので得てもどうしようもなかったと思いますが、とにかく自然に集まってきて、それを多くの人が共有する)のと対照的でした。
放送とSNS、ふたつの世界は全く繋がっておらず、同じ関心ごとに大きな2本の川が流れているように感じていました。

8年経ち、放送はネット、特にSNSのトレンドを伝える媒体として様変わりしたように感じます。
当時と逆転したかのようです。
しかし、放送がインターネットの情報に劣るかというと、決してそうではないと感じます。
震災発生当時にいやというほど聞いた『信頼できる情報』という言葉。
そのときは単なる矜持にしか感じられなかったのですが、8年経ってあらためて、媒体を問わず、信頼できる情報を発信することの重要性を感じています。